古代の
百済の言葉との関係を指摘する説もある。「ナリ」は古代
百済語で渡船場を意味すると見られ、たとえば一時百済の首都だった
熊津(現・
公州)を「
日本書紀」の
雄略紀二十一年で「久麻那利」(くまなり)と読んでいるので、「津」を当時「ナリ」と読んでいたことが推定される。つまり、上町台地の「東側の津(ひがしなり)」「西側の津(にしなり)」である。
上町台地東側の水運に関して、「
日本書紀」の
仁徳紀十四年には「猪甘津(いかいのつ)に橋為す。即ち其の所を号けて、小橋(おばせ)と曰ふ。」とあり、おそらく古墳時代ごろには現在の
鶴橋駅近くの東小橋周辺に、後に
平野川となった川が注ぐ猪甘津という入り江の港があり、その川に物資運搬や通行用の橋が架けられたと思われる。もっともこういった港が「
東生郡」の名がつく奈良時代まで土砂に埋まらず残っていたかは不明である。