中国での任侠の歴史は古く、中国
春秋時代に生まれたとされ、情を施され命を果たしてでも恩義を返すことにより義理を果たすという精神を重んじ、法で縛られることを嫌った者が任侠に走ったとされる。
戦国四君は食客や任侠の徒を3千人雇ったことにより国を動かしたとされ各国から評価され、四君の中でも特に義理の高い
信陵君を慕っていた
劉邦は任侠の徒から皇帝にまで出世した。この任侠らを題材にしたのが『
史記』の「遊侠列伝」である。登場人物の
朱家は有名で、貧乏ながらも助命をすることが急務とし、逆にそのことで礼を言われることを嫌っていたために名声が高かったという。以後、任侠は庶民の間で地位を得、権力者の脅威となったという。任侠に
武術を取り込んだ『
武侠小説』は現代でも人気が高く『
三国志演義』や『
水滸伝』など人気が高い。
任侠を主体とした男の生き方を「任侠道」、またこれを指向する者を「仁侠の徒」という。この仁侠の徒が相互扶助を目的に自己を組織化したと自称するのが
暴力団である、任侠は本来悪い意味を差す言葉では無かったが、暴力団が自称するようになって以降、本来の意味を外れて悪い意味(暴力を背景に職業的に犯罪に従事する団体やその構成員)と理解される傾向にある。