ドラフト指名時には熊谷組の寮で当時の
上田利治監督からの電話に「会社の上の人と相談して決める事ですけれども…自分の心はひとつです!!」と応え、入団当時から話題をさらった(その時の映像が2000年代中盤に
リクルート「フロムエー」のCMでも使われた)。入団時の記者会見では契約金の話になったが「この1億円はプロで勝負させてもらう為のお金であり手を出せないです」という発言で場内を驚かせた。
強打の外野手として期待されたものの、打撃面では入団初年の
打率.331を頂点に成績は尻すぼみ。1994年、
仰木彬新監督が就任し、登録名を既にニックネームとして定着していた「
パンチ」に、3年目の若手外野手の鈴木一朗も「
イチロー」に変更した(このアイディアは
新井宏昌打撃コーチが提案し、仰木が承認した)。この際仰木らは、実際にはイチローひとりを売り出すために登録名変更を思い立ったものの、当時はまだ全国区ではなかったイチロー一人だけを改名した場合、イチローだけが目立ってかえって萎縮しまうことを懸念していた。そこで仰木らは、既に全国区だったパンチにも改名を勧め「一緒に目立ってくれ」と頼み込み、こうして2人の登録名が変更されるに至った。